2019.09.18 Wednesday

由緒

【名称】越前国足羽南郡 總社和田八幡宮

【御祭神】西御前:第14代 仲哀天皇・足仲彦命 / 中御前:第15代 応神天皇・誉田別命 / 東御前:神功皇后・息長帯比売命

【例祭日】春季例祭:4月第3土曜日・日曜日 / 秋季例大祭:9月第2土曜日・日曜日

【創建】天徳3年(平安時代中期、959年)

【御社格】旧郷社

 

水引.jpg 和田八幡宮の創建

 

今から約1060年前(平安時代中期、959年)、当時この地方は、たびたび洪水や疫病に襲われていました。当時、越前で守護職(現在の県知事の様なもの)をしていた源満仲は、霊夢により東北に向け矢を放ち、矢の落ちた先である越前(現福井市和田)にお宮を創建しました。満仲八幡御宮と石に刻み、祈念して護摩焚きをしたところ、洪水や疫病が鎮まったといわれています。そのお宮というのが和田八幡宮です。和田八幡宮と三ツ矢伝説

 

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その後、神仏混淆の京都、石清水八幡宮に準じお宮が、和田の庄に占い社殿が造営され、和田八幡宮は「和田七郷」の総社として、当時はその規模が雄大であったといいます。(東西約650m、南北約1400m)院坊は、次の16ヶ所に置かれました。円持院(本坊で養泉寺とも呼ばれた)、松林院、杉本坊、三明坊、嘉例寺、東霊寺、守住院、光明院、円融院、本光院、長久院、己心院、来迎院、慧照院、無常院浄徳寺

 

水引.jpg きうちにあい全焼、そして再建へ

 

創建から数百年後、朝倉敏景は宮祠を修理し、和田村一千貫文を供えました。ところが、天正元年(1573年)の一揆の動乱により、宮祠、樹木、社家、僧坊等すべて焼き討ちされてしまいました。三明坊の尊久は、密かに御神体を背負って東郷の南山に逃れ、そこで20年余りを過ごしました。その後、旧地に帰って祠を営み、御神体を祀ったいわれています。慶長6年(1601年)、松平秀康により再建が命ぜられました。元和9年(1623年)1月15日、三河守参議、松平忠直の命令により、本殿、拝殿、廊下、華表瑞籬が完成し、その後180年間、和田の里に壮麗な神社を誇りました。

 

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水引.jpg 和田八幡宮縁起書

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